地方VS都会

都会にずっと住んでる人はあまり意識しないのだろうけど、地方から都会に出てきた人はこの辺について考えることはやっぱり多いのだろうか。
田舎は好きだが、それでも東京を選択する。 - ミームの死骸を待ちながら
この記事に触発されました。はじめて自分の意見でも述べてみようかな、と。おそらく全然論理が通ってない(というか何を言いたいのかまとまってない)ので、えーと、ごめんなさい(笑)。

自分は高校まで長崎市で浪人時代から首都圏で生活して6年めになる。そんなわけでもともとものすごく田舎というわけでもなかったのだけれども、今回はこのような地方都市と首都圏(関西の事情は知らないので…)を比較してみようかな(比較というのも語弊がある気がする)と思う。あと、自分は能動的ではない人間という設定(そもそも行きたい大学が東京にあったからしぶしぶ出てきた感じに近い)。個人的には地元大好きだけど、ここ5年、帰ってません。

首都圏は情報、物資などにおいて恵まれている

はずなんだけど、個人的にそれを享受している印象がない。おそらく自覚がないだけの部分も大きいと思うが、思ったより「東京スゲー!!」という感想は持たなかった。TVゲームが好きだったので秋葉原には憧れていたけど、別にゲーム自体なら地元でも買えたし、地元で買えなくて、秋葉原で入手しやすいのは珍しいゲームとかゲームのサントラとかになるのかな。でもモノを買うだけならネットでも買える時代だし、自分の趣味を満たすだけなら地方都市で十分だと思った。情報も今はネットで手に入るので、格差はつかない。あと、さまざまなサービスが東京で始められるといっても、自分が興味がなければ何の関係もない。ここは能動的に動けば首都圏のメリットを享受できる点かもしれないが。

首都圏はイベントに恵まれている

これは感じる。勉強会などのイベントがあったときに、俺が地元にいたら参加できなかったんだろうなあ、とはつくづく思う。このようなイベントから人間関係が広がっていくことを考えると、地方ではそれなりの損失を被っているのかもしれない。地方でもイベントを開催することができるといっても、首都圏のそれとは人間関係の広がり方は全然違うだろうし。でも人間関係が広がったとしても、それを有効に利用できるほどの行動力がないとあまり役には立たないよね。

首都圏はいろんな人間がいる

絶対数が多いから当たり前なんだけど、自分の人間関係は狭いからほとんど大学の知人だけに限られる。そのなかでも確かにすごい人はいるけど、それは大学だったら地方の大学でも同じじゃないのかな?しかし、最近はネットで目立つ人を見かけることもある。そういう人は当然首都圏在住の確率が高い。そういう人に会えるチャンスが少ないのはやはり地方のデメリットかな。やはり自分が「こいつはおもしろい!最高!」的な人に会ったことがないor自分の感覚が鈍い、のでなんともいえない状況。

しかし地方の良さってなによ?

これを考えたときやはり答えに窮してしまう。地元の友人が多いからは育ちが都会ならメリットにならない。また地方都市だと噂がすぐ広まるほどコミュニティが良い意味で狭くて密なわけでもない。自然が豊かっていうのは確かにあるだろうけど、首都圏だって少し離れれば自然あるし。まあ地元にいたときは家から緑がほぼ一面に見えたので、休憩がてら外を眺めるということをやっていたけど、それができないというのは精神衛生上ちょっと大きいかな?という感じはする。

結論

id:T_Hash も受動的だと機会を生かせないと言及していたが、受動的な人間はどこにいっても変わらないし、能動的な人間だったら地方都市レベルなら十分活動できると思う。正直なところよくわからない。ただ、東京がそこまで信仰崇拝する価値のある場所なのかどうかは人によると思うし、個人的には懐疑的。まあ住むんだったら東京にいこうと思えばいけるぐらいの距離の地方都市(つくばっていいんじゃね?)がいいんじゃないのかなあ。少なくとも「うまくいかないのは田舎だからだ。東京に行けばなにかあるかもしれない」と思って上京するのはなんか間違っている気がしてならない。

というかね、地方→大都市の人のケースが多すぎて、大都市→地方の人の意見を聞きたいところ。